夜更けの思索者

土地家屋調査士・行政書士・CALS/EC RCI 橋本伸治のブログです。仕事に関する記事や日頃感じているエッセイなど熟々と書き綴っています。

2020年08月

前に、私が影響を受けた人物の一人に「安岡正篤」の名を挙げた。
ご年配の方ならご存知の方も多いだろうが、若い人の認知度はおそらく低いか皆無かも知れない。
私もいつどういう機会で彼を知ったのか既に忘却の彼方であるが、彼の明快かつ理路整然とした清廉なる教えに一発で魅せられてしまった記憶が強く残っている。

ああ、そうか。
私のライフワークでもある中国古典哲学の勉学時に、とある書物の中で安岡正篤人物評を読んだのが初めての出会いだったのだった。
安岡正篤も私が人生の師として仰いでいる方である。

ご存知ない方のために安岡正篤(やすおかまさひろ)の人となりを少しご紹介したい。

明治31年 大阪市生まれ
大正11年 東京帝国大学法学部政治学科卒業
昭和2年 (財)金鶏学院を設立
昭和6年 日本農士学校を設立
昭和58年 逝去

一番身近に感じられるのは、平成の元号を彼が最初に考案したという事(ただし政府は改元時既に故人であった事から彼の発案を認めていない)。そして彼の最後の愛人が占い師細木数子(一時テレビ番組を席巻していた)であった事。更には、昭和天皇による終戦詔勅の玉音放送「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」というあの文章の作成に刪修(さんしゅう・不要な語句をけずって文章を整えること)という立場で関わっていた事。

何よりも、当時、歴代首相達に最も影響を与えた政財界の黒幕であったことだ。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘など、昭和の宰相たちの多くは安岡を師と仰いでおり、首相の政策立案や施政方針演説に深く関わっていた指南役であったらしい。財界では、かの松下幸之助も彼の門下生であった。もっとも安岡氏は黒幕という言葉をかなり嫌っていたようである。
しかし黒幕と言われるのは、決して闇の意味合いではなく、彼の人格が尊敬に値するからであり、彼の思想信条が極めて理に叶っており、実学(彼は活学と称する)として即座に対応可能な東洋哲学に基づいていることから、政財界の多くのリーダーが彼に教えを乞うた事に由来するのであろうと私は理解している。

安岡正篤は元々は王陽明の研究者であり陽明学者であるが、中国古典哲学に精通し、東洋思想における知の巨人と言われる。没後40年近く経った今でも多くの熱狂的なファンがいる。その殆どが政財界などでのトップリーダーだ。その思想は致知出版社において今に受け継がれている。

私も遅ればせながら安岡氏の著作を読み漁り、今も大いに影響を受けている一人である。
現代日本人が忘れてしまった、本来持っているべき日本人としての古き佳き誇り、哲学、道徳観、人生観、そういった物を呼び覚ましてくれるのだ。

彼の本を読んでいると、背筋をピンと張らざるを得ない心持ちになる。書物の奥底から、あたかも安岡先生が自分を冷徹に凝視して、「貴方は今自分に対して真に誇りを持てるか?」と問いているような錯覚に陥る事すらある。時として難解な表現に理解するのが苦しい時もあるが、彼の文章からは、安岡先生が類稀なる思想家であり、人徳者であり、人々を何故こうも虜にするのかが容易に読み取れるのである。

今時代を超えて、安岡正篤という大哲学者に巡り会えた幸福に、心から感謝したい。

ビジネス雑誌を読んでいると、最近特に立命館アジア太平洋大学の記事を目にする機会が多い。2000年に大分県別府市に設立された私立大学である(略称APU)。
開学宣言に次の文章が記されている。
我々は、21世紀の来るべき地球社会を展望する時、アジア太平洋地域の平和的で持続可能な発展と、人間と自然、多様な文化の共生が不可欠であると認識する。この認識に立ち、我々は、いまここにアジア太平洋の未来創造に貢献する有為の人材の養成と新たな学問の創造のために立命館アジア太平洋大学を設立する。」

何故ビジネスの世界でAPUが話題になっているのだろうか?調べてみた。
学生の半分は外国人であり、教員の半数も外国籍だという。授業は英語と日本語による二言語教育方針が採用されており、また国の研究支援事業とも連携し、社会人の受講生も受け入れているので、企業から社員を受講生として派遣するケースが多いようだ。留学・逆インターン制度としてのニーズが高いようなのだ。

外国人学生の受け入れ率では日本一だという。
日本人学生にとって国際感覚を養うには最適の環境であろう。社会人学生にとっても然りである。
毎年発表される世界の大学ランキングでは、東大・京大は下位に甘んじている(2020年は東大36位、京大65位)が、その低迷要因の一つに外国人学生の受け入れ率・教授陣の外国籍率が影響している。他にも様々な要因はあるが今は省略する。

私は何も立命館大学の出身者でも無いし、家族に関係者がいる訳でもない。しかし今APUはビジネス社会から熱い視線を浴びている現実がある。
そもそも立命という言葉にも深い意味がある。おそらく元は「安心立命」が出典だろう。

つい最近APU学長の講義を拝聴した。元生保会社社長という特異な経歴の出口治明氏である。今CMでも有名なライフネット生命保険の出身だ。当然健康に関してはプロとしての知識があり、かつ歴史についても造詣が深い。歴史好き人間としては、そこにも興味を覚えた。
何故保険の人間が教育界に身を投じたのか?はたまたAPUの世界戦略はなんであるのか?おそらく旧帝大では発想され得ない新たなイノベーションを引き起こすのか?大変興味があるところだ。子供にも、狙うならAPUと言う時代が来るかもしれない。

日本は未だ未だグローバリゼーションが徹底されていない。そもそも英語教育が根本から間違っているのでやむを得ない結果であろう。日本の世界的評価はどんどん落ちている。共通言語が足りていないのは当然として、真の世界人になり得ていない。島国根性が原因だと言ってしまうのは簡単だが、イギリスが覇権国になった歴史と整合がつかない。

その欠点を補完し、世界に通用する日本人を鍛え上げる事がAPUの世界戦略なのかも知れない。そこにビジネス界が注目しているのかもしれない。

ビジネス、特に経営者の世界では、誰しもがMBAの資格を有し、世界共通言語を使いこなし、ガラパゴス化していない思考力を有する、昔風で言うところのcosmopolitanたる日本人が今改めて求められている。

メメントモリとは、ラテン語で「死を思え」•「死を忘れるな」という意味です。言わば死生観の事です。

では何故、今メメントモリの話なのか?
今人類は、世界中を震撼させているCOVID-19、いわゆる新型コロナウイルス感染症という脅威に対峙しています。有名人も続々と感染し、志村けんさんのように死に至る事が大いにありうる現在、東日本大震災以来の「人は生かされている」という思いに至るからです。
そして否応なしに死生観へと思いがどうしても至ってしまうのです。しかし、死生観を持っているかどうかで人間生き方がガラッと変わります。そこに気づく事が極めて大切なのだと思います。

人間にとって決して逃れられない真実、絶対の真理が三つあります。
1. 人は必ず死ぬということ。
2 .人生は一度きりであるということ。
3 .人はいつ死ぬかわからないということ。
どれも当たり前の事です。もし、貴方が医者から余命一ヶ月と宣告されたとしたらどう思うでしょう?もっと健康に留意していれば良かった。もう未来は無い、人生終わりだ。普通ならそう悲観する事でしょう。
でも余命が後30年あります、と言われたらどうでしょう?なんだ、案外短いけど未だ先の事だ。と気持ちを切り替えられることでしょう。
この違いは何でしょうか?時間の問題である事は確かですが、死に対する恐怖感の違い・切迫感の違いによるものではないでしょうか?
その恐怖感・切迫感を受け入れて覚悟が座った時、人は人生の密度・時間の密度が格段に濃くなります。一日一日、一瞬一瞬を大切に過ごす事でしょう。まさに今この時の瞬間を精一杯生き切る事で己を納得させるのでは無いでしょうか?
そして、この逃れられない運命を受け入れ、その事実には何か意味があるのでは無いか?己に何か使命を果たすよう何かしら大いなる物が与えているのでは無いか?
「使命観」、使命とは一般的な意味合いの他に、”命を使う”とも読めます。己の命をかけてでも何かに打ち込む責任がある。この覚悟。
この覚悟が備わった人間は真の魂の強さを備えるのです。これこそが強い死生観であると思います。
そして、この死生観を持った覚悟のあるリーダーはいかなる危機に遭遇しても泰然自若として物事を冷静に判断する事が出来るようになる。目の前のいかなる事象に対しても常に客観視出来る「解釈力」を身につける事ができるのです。

これが、我が師田坂広志先生の教えです。

言い換えるなら、リーダーや経営者は強い死生観を持つべきだという事なのでしょう。いや、人間である以上、皆持つべきなのかもしれません。

この境地に達するのは並大抵の事では無いでしょう。本当に死にかけるほどの究極の経験でもしない限り会得できないのかもしれません。田坂先生は若い頃本当に死にかけた経験があるそうです。だからこそ毎日毎日を「生き切って」翌日目覚めた時に、ああ今日も生きられる、有難うと素直になれた。
人は皆、今この瞬間が死と隣り合わせなのかもしれません。今居るこの空間から一歩外に出た瞬間、事故に遭って命を落とすかもしれない。それを意識しているか否かで人の死生観は違ってくるのでしょう。

この境地に私はいつ到達できるのだろうか?
また修行の日々が続きます。


私が田坂広志という人間と初めて出会ったのは、関東ブロック協議会新人研修での講師を引き受ける、少し前の頃です。ふと本屋で手にした「プロフェッショナル進化論」を目にしたときでした。
それまでは、プロフェッショナルについて法曹倫理的なアプローチで考察してきたことはあったにしても、それ以上に体系的に深掘りして思考することは余りなく、この本を読み終えたときは衝撃を受けました。と同時にそれまでの己の浅薄な考えを恥じ入りました。
以来、田坂広志先生を我が師と仰ぎ、様々な機会を捉えては田坂先生の講義や著作・エッセーなどを見聞きしてきました。
副会長になる頃から、真のリーダーはどうあるべきかを真剣に考えるようになりました。
リーダー論に関する著作は世に掃いて捨てるほどあります。その中で一番私の懐に落ちてくるのが、松下幸之助であり、本田宗一郎であり、稲盛和夫であり、安岡正篤であり、上杉鷹山であり、勝海舟であり、そして田坂広志の著作物でした。

その田坂広志師は、元々は東京大学工学部出身の原子力工学の専門家でした。その後哲学的アプローチを行ったり、経営戦略のアドバイザーなどを務めながら、現在様々な研究機関・ブレインチームを主宰し、政府の委員も務め、多摩大学大学院教授の職にありビジネススクールを主宰しています。

Youtubeでも田坂先生の講義を視聴することが出来るので、折に触れ視聴しています。
その中で、私がまさに魂が揺さぶられるような感銘を受けた講義がこれから紹介する動画です。忘れないようブックマークし、自らを戒めるときに何度も視聴するようにしています。
これは何も私が会長だから偉そうにリーダーはこうあるべき、という紹介をする訳では無く、一人の人間としてどう生きていくべきなのか、そのヒントを掴んでいただければと思いご紹介するものです。少し宗教的匂いがあるので生理的に受け付けないという方もいるでしょう。人生は後悔と反省、修行の連続です。他に責任を求める他責では無く自責の心が自分を育ててくれる。その志を放棄した時、人間の成長は止まると私は確信しています。私も修行の道半ば、死に際まで続くでしょう。騙されたと思って1時間だけ貴方の貴重なお時間を預けてみませんか?

『すべては導かれている ー 逆境を越え、人生を拓く五つの覚悟 ー』

ある田坂先生の講義の中で、メモは取るな、と仰っています。これは、知識の一つとしてノートを取るようになるので、魂に刻み込む覚悟をもって心でノートを取って欲しい、という意味だと私は理解しています。
その意味で、五つの覚悟をここに記しておきますので、それをチラチラ見ながら、動画を聴いていただければ幸いです。

我々の人生は、「幸運に見える出来事」だけでなく「不運に見える出来事」も含め、大いなる何かに導かれている。人類の永い歴史を振返るならば、多くの優れた先人は、その存在を「信じる」ことにより、自らの中に眠る力と叡智を引き出し、人間としての可能性を開花させ、逆境を乗り越えてきた。これらの先人と同様に、我々が「すべては導かれている」という覚悟を定めるならば、その瞬間から人生の風景が変わると、田坂氏は言う。我々は、人生とどう向き合い、覚悟をどのように定めれば良いのか。現代の知の巨人が語る。

すべては導かれている、リーダーは逆境力を培う力を身につけて欲しい。
そのためには5つの覚悟が必要である。

1の覚悟 自分の人生は大いなる何かに導かれている。

2の覚悟 人生で起こること全てに意味がある。

3の覚悟 人生における問題全ては自分に原因がある。

4の覚悟 大いなる何かが自分を育てようとしている。

5の覚悟 逆境を超える叡智は全て与えられる。

では、どうぞ田坂広志の世界へ・・・

https://www.youtube.com/watch?v=qhSRBpML-3U

今までのブログサイトに、投稿のしづらさ等で少し不満がありました。
他のブログのサイトスタイルを色々と見て回ったのだけど、livedoorのブログが割と使いやすそうなので、昨日からこちらに移行しました。

今まで当ブログを訪問していただいた皆様には、やや勝手が違うかもしれませんが、今後はこちらをよろしくお願いします。

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