前に、私が影響を受けた人物の一人に「安岡正篤」の名を挙げた。
ご年配の方ならご存知の方も多いだろうが、若い人の認知度はおそらく低いか皆無かも知れない。
私もいつどういう機会で彼を知ったのか既に忘却の彼方であるが、彼の明快かつ理路整然とした清廉なる教えに一発で魅せられてしまった記憶が強く残っている。
ああ、そうか。
私のライフワークでもある中国古典哲学の勉学時に、とある書物の中で安岡正篤人物評を読んだのが初めての出会いだったのだった。
私のライフワークでもある中国古典哲学の勉学時に、とある書物の中で安岡正篤人物評を読んだのが初めての出会いだったのだった。
安岡正篤も私が人生の師として仰いでいる方である。
ご存知ない方のために安岡正篤(やすおかまさひろ)の人となりを少しご紹介したい。
明治31年 大阪市生まれ
大正11年 東京帝国大学法学部政治学科卒業
昭和2年 (財)金鶏学院を設立
昭和6年 日本農士学校を設立
昭和6年 日本農士学校を設立
昭和58年 逝去
一番身近に感じられるのは、平成の元号を彼が最初に考案したという事(ただし政府は改元時既に故人であった事から彼の発案を認めていない)。そして彼の最後の愛人が占い師細木数子(一時テレビ番組を席巻していた)であった事。更には、昭和天皇による終戦詔勅の玉音放送「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」というあの文章の作成に刪修(さんしゅう・不要な語句をけずって文章を整えること)という立場で関わっていた事。
何よりも、当時、歴代首相達に最も影響を与えた政財界の黒幕であったことだ。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘など、昭和の宰相たちの多くは安岡を師と仰いでおり、首相の政策立案や施政方針演説に深く関わっていた指南役であったらしい。財界では、かの松下幸之助も彼の門下生であった。もっとも安岡氏は黒幕という言葉をかなり嫌っていたようである。
しかし黒幕と言われるのは、決して闇の意味合いではなく、彼の人格が尊敬に値するからであり、彼の思想信条が極めて理に叶っており、実学(彼は活学と称する)として即座に対応可能な東洋哲学に基づいていることから、政財界の多くのリーダーが彼に教えを乞うた事に由来するのであろうと私は理解している。
安岡正篤は元々は王陽明の研究者であり陽明学者であるが、中国古典哲学に精通し、東洋思想における知の巨人と言われる。没後40年近く経った今でも多くの熱狂的なファンがいる。その殆どが政財界などでのトップリーダーだ。その思想は致知出版社において今に受け継がれている。
私も遅ればせながら安岡氏の著作を読み漁り、今も大いに影響を受けている一人である。
現代日本人が忘れてしまった、本来持っているべき日本人としての古き佳き誇り、哲学、道徳観、人生観、そういった物を呼び覚ましてくれるのだ。
彼の本を読んでいると、背筋をピンと張らざるを得ない心持ちになる。書物の奥底から、あたかも安岡先生が自分を冷徹に凝視して、「貴方は今自分に対して真に誇りを持てるか?」と問いているような錯覚に陥る事すらある。時として難解な表現に理解するのが苦しい時もあるが、彼の文章からは、安岡先生が類稀なる思想家であり、人徳者であり、人々を何故こうも虜にするのかが容易に読み取れるのである。
今時代を超えて、安岡正篤という大哲学者に巡り会えた幸福に、心から感謝したい。
現代日本人が忘れてしまった、本来持っているべき日本人としての古き佳き誇り、哲学、道徳観、人生観、そういった物を呼び覚ましてくれるのだ。
彼の本を読んでいると、背筋をピンと張らざるを得ない心持ちになる。書物の奥底から、あたかも安岡先生が自分を冷徹に凝視して、「貴方は今自分に対して真に誇りを持てるか?」と問いているような錯覚に陥る事すらある。時として難解な表現に理解するのが苦しい時もあるが、彼の文章からは、安岡先生が類稀なる思想家であり、人徳者であり、人々を何故こうも虜にするのかが容易に読み取れるのである。
今時代を超えて、安岡正篤という大哲学者に巡り会えた幸福に、心から感謝したい。