昨日の定時総会において、恐れ多くも栃木会第14代会長に推挙され、承認可決をいただき就任させていただきました。
15年前に当時最年少の理事、それもいきなり総務部長を拝命しつつ、途中本部役員からエスケープに成功してADRセンター長の道を突き進んでいましたが、その時は将来よもや会長職を拝命するとは思ってもいませんでした。
しかしこの重責を一度受けた以上は全身全霊をもって務める所存です。
 
と、普通ならこう杓子定規的挨拶を述べるのであろうが、私なぞが会長で良いのだろうかと素直に思う。
まぁ昔ほどツンツンとんがっては居ないと自覚はしているものの、旧態依然を最も忌み嫌う性分であり、改革すべきところは断行するをモットーにして来たので、少し荒療治に及ぶやもしれませぬ。
なにせ栃木県民は極めて保守的な県民性であり、若い頃から流浪の旅を続けてきた自分から見ると、なんともまぁ、かなりぬるま湯に漬かり切っているのでは?と常々感じて来ていた私です。
今や批判は多いが、潰れかけていた日産を見事に復活させた稀代のコストカッター、カルロス・ゴーンほどでは無いにせよ、批判を承知で改革を行う気は満々也・・・

しかしである。
そこに真のリーダーは存在しないのではないか。

私にも少しはリーダーとしての自覚があるので、トップが自らプレーヤーになる愚は十分承知しています。役員の皆さんに助けてもらわないと会長一人では何も出来ません。
リーダー哲学についても、これまでにそれなりに学んできてはいるが、未だに自分がリーダーとしての資質を持ち得ているのか?と自らに問うのである。

何かに導かれて会長にさせていただいたのではなかろうか。これも天の配剤であろう。270の会員の皆様に感謝の気持ちを持ち、役員としてご協力いただける方に感謝して、これからの二年間を務めさせていただこう。役員の方がいかんなくそのポテンシャルを発揮できるよう、言うならばオーケストラの指揮者の感覚で会長職を全うしていこう。そういう考えに及んだのです。
この気持ちが欠けているとリーダーとしては失格なのだと感じる。
その意味で、総会で新会長の挨拶の言葉として、会員皆様の分身として会長職を全うしていきたいと述べさせていただいた。

また、他力本願という言葉の本当の意味。
世間一般的に使われる意味は「他人任せ」という無責任さを指すことが多い。
しかし、本来は宗教的な由来がある。他力とは如来の本願力なり(親鸞聖人)。つまりはどんなトラブルにも折れない強い心を言うのだそうだ。役員の仲間と一緒に、仲間を信じて、強い心をもってこれからの2年間を突き進んでいければと思う。

実務的には、マクロとミクロの両方の眼を持つ事も肝要。鳥眼と魚眼を使い分ける術が求められます。言わずもがなですが、鳥眼とは物事を上から俯瞰して見て判断するバーズアイ、魚眼は目の前の事象を広い視野で見渡すフィッシュアイを意味します。
更には短期・中期・長期の各ビジョンを打ち立て、政策実行する力も問われるでしょう。特に今調査士業界は深い低迷の時代に突入しつつあります。日本という国自体が低成長時代となり、少子高齢化に伴い不動産に対する絶対評価が減退し、いずれ不動産登記と言う枠組み自体に変容を迫られる時が必ず来るでしょう。そのX dayを想定して未来の調査士がどうあるべきかを問い続けなければならない。
国の政策にも大きな変化をもたらす事が十分予想されます。座して待つのみでは無く、果敢に様々な提案を行うことが必要であり、その為には私たち土地家屋調査士自身が変わらなければなりません。旧態依然の調査士像では未来に通用しないと心得るべきでしょう。

また、会長職を次代の役員へ手渡せるよう人事教育の視点も必要ですね。ADRセンター長時代はワンマンでやりすぎて、次のセンター長を育てられなかった反省があります。よくよく肝に銘じなければなりません。