ここ最近,顔見知りの同業諸兄やクライアントに
「最近ブログの更新が無いですよね?」と言われること数多く,
結構読んで戴いているのだな,と痛感した。

親しい仲間とは,FacebookやらTwitterやらLineやらmixi等のSNSツールで近況報告しているが,そうでもない諸兄には近況ご無沙汰状態となってしまったこと反省しきりである。

デジタルな話ついでに,スマホチルドレンと言う言葉は既に定着してしまったようで,ご多分に漏れず我が家の長女もその部類に属する。

車を運転してても,子供達がスマホばかりに気を取られ,まともに前を向かずに自転車に跨がっているのを見ると,事故は時間の問題だと,いつもハラハラさせられる。

以前テレビで,アメリカの母親が初めてiPhoneを持つ我が子と,利用契約9ケ条なるものを取り交わしたことが話題となった。
早速我が家でも長女に買い与えたスマホについて,その利用方法に関する使用契約書を取り交わした。契約違反があった場合はその都度二人で考え直し,契約条項を修正していった。
しかし,子供にとっては絶好の遊び道具。なかなか守られる物では無い。しまいにはガラケーに逆戻り。
折も折,今日学校から「地元警察署長からのお願い」の通知があり,保護者には子供のスマホ利用管理を徹底して欲しいとの要請があった。LINEを代表とするスマホ利用で犯罪に巻き込まれる危険を回避するためであろう。

石川県では小中学生のスマホ所持を控えるよう保護者に努力義務を課す条例まであるそうだが,高校生になった途端,スマホ利用率が全国レベルとなり,結果として効果はイマイチのようである。
若い頃からスマホの利用に慣れさせ,メリット・デメリット双方を学習させるという考え方もある。
しかし,一方でデジタル端末に踊らされ,自分の頭で思考する機会が激減しているともいう。便利さを得た代償は思いの外大きい。


閑話休題

司馬遼太郎氏に「ヤクザ的」と言われた元『週刊朝日』編集長川村二郎氏のコラムを最近よく読ませて戴いている。
的を射た,示唆に富んだコラムで大変勉強になっている。
今日のコラムで一番懐に入ってきたのが,『気取って言えば、究極のもてなしは胃袋を満足させることではなく、頭の中を刺激することにある』というメッセージだった。
司馬遼太郎氏との対談で,司馬氏が何故人の名前を忘れないかとの問答の中から気づかされたメッセージである。
もてなしとは「表裏無しの心」とも言われるが,思うに,己が持ち得ている物から最高の歓迎の心を表現することではないか。それは物欲的な物による歓迎では無く,日本人の持つ美徳精神の発現でもあるように思う。翻って,今日は相手をどんな機知に富んだ話でもてなそうか,と頭を巡らせ,相手の情報をプリインプットしておく。だから相手の名前を忘れることが無い。

これまた新たな発見であり学びであった。

我が身を振り返ると,人生歳を重ねるほど勉強する機会が多くなっているように思う。専ら己の智慧の無さが大きな要因であるが,学んでも学び足りない。
知識欲が今の自分のエネルギーの元なのかもしれない。逆に言えば,学ぼうという気力が無くなった時こそ,自分の人生は終わりに近づいているのかもしれない。
しかし,人生知識だけでは生き抜いていけない。知識を智慧に変えてこそ本当の力となるのであろう。