以前私の事務所を手伝ってくれたK君が、33年という短い生涯を終えました。

先日、彼を知る共通の古い親友から連絡があったとき、「まさか」という気持ちで頭がいっぱいになり言葉が出てきませんでした。

昨日、洗礼を受けクリスチャンであった彼のお別れの会に参列するため教会まで足を運んできました。

キリスト教式の葬儀に出席するのは過去数回しかありませんでしたが、仏式のようなじめじめとした悲しみに包まれているのではなく、なぜか清々しさすら感じさせる気持ちの良いお別れの会でありました。

賛美歌を斉唱し、牧師さんの言葉、お世話になった教会の先生や友人たちの送る言葉を聞きながら、今は亡きK君の遺影をじっと見つめていました。
後ろから参列者の方々の声が聞こえてきます。
それらの声を聞いて、なぜこんなに今日の葬儀が清々しいのか、わかったような気がしました。

彼、K君はここに集いし多くのみんなに心から愛され、見守られて主イエスのみもとへ召されたのだと。

私はクリスチャンではありません、むしろ宗教をあまり信じない人間の部類です。
しかし、この日ばかりは、K君は、彼を愛するみんなに「祝福」されて、安らかに主の元へ旅立って行ったのだと確信できました。
今こそ彼は永遠の平安を手に入れたのでしょう。それが皆、ある意味嬉しくもありほっとしたのかもしれないのです。

ご家族の悲しみは想像を超えるものだと思います。
悲しくも不遇の人生を背負い、一生懸命彼は戦ってきました。
硝子のように繊細な心を持ち、病と闘ってきました。
しかし、たとえ肉体は滅びてもK君の魂は永遠なのだと、今日ばかりは信じたい。

彼の第二の人生が永遠に安らかなるものであることを祈り・・・

彼の魂は今救済されたのだと信じます・・・

K君、今まで本当にありがとう。

本当にお疲れ様でした。

これからはゆっくりと休んで下さい。
またいつの日か逢いましょう。