巷ではマナー講座なるものが結構流行っているようです。
裏を返せば、如何にマナーが世間一般に浸透していないかという事なのでしょう。我が身も然り、日々反省する毎日です。
マナーというと何か新しい事のように感じますが、日本には「思い遣り」「気遣い」という素敵な言葉があります。
最近よく耳にするようになった言葉に「江戸しぐさ」があります。仕草ではなく「思草」と書くようです。
元々は江戸時代の商人哲学だったらしく、商家の門外不出の不文律処世術だったものを、芝三光氏を中心に後世へ伝えて来たものらしいです。それが最近の教育界で再評価され始め、道徳教育にも採用されつつあると聞きます。
例えば、
【傘かしげ】雨の日に互いの傘を外に向けお互いに傘がぶつからず濡れないように配慮してすれ違う事。
【七三の道】歩くときは道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の三割にして残りの七割は緊急のために残して開けておくこと。
【時泥棒】約束なしに相手を訪問したり、約束の待ち時間を守らずに遅れたりして、相手の時間を奪うことは重い罪になるよと自重させる。
【肩引き】道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。
【うかつあやまり】たとえば相手に自分の足が踏まれたときに「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることでその場の雰囲気をよく保つこと。
考えれば人として当たり前の配慮ですよね。それが現代人には通用しなくなっている悲劇。
ここ数十年の日本人の倫理観は悲惨です。己だけがよければ良いとの風潮が蔓延り、受験競争に明け暮れ、まともな道徳観を持たない者が高学歴者となって社会人となると、社長以下重役が一斉に頭を下げるような不始末を仕出かす。
昔の日本人なら到底あり得ない、食品偽装事件の多発。
コンプライアンスやCSR なんて外国語が入る以前から日本には美しくも気高い商哲学、商道徳があったはずです。その先達の智恵や倫理観を現代日本人は文明社会の発展と引き換えに失ってしまった。
我が家にも今年受験生となる娘がいますが、頭でっかちになるより、人としての倫を外さない思い遣りのある人間に成長して欲しいと願っています。約束は必ず守ること、最低の倫ですよね。
思い切って受験で道徳科目を導入してでも徹底させるべきのような気がするこの頃です。哀しいですけどね。
裏を返せば、如何にマナーが世間一般に浸透していないかという事なのでしょう。我が身も然り、日々反省する毎日です。
マナーというと何か新しい事のように感じますが、日本には「思い遣り」「気遣い」という素敵な言葉があります。
最近よく耳にするようになった言葉に「江戸しぐさ」があります。仕草ではなく「思草」と書くようです。
元々は江戸時代の商人哲学だったらしく、商家の門外不出の不文律処世術だったものを、芝三光氏を中心に後世へ伝えて来たものらしいです。それが最近の教育界で再評価され始め、道徳教育にも採用されつつあると聞きます。
例えば、
【傘かしげ】雨の日に互いの傘を外に向けお互いに傘がぶつからず濡れないように配慮してすれ違う事。
【七三の道】歩くときは道のど真ん中を歩くのではなく、自分が歩くのは道の三割にして残りの七割は緊急のために残して開けておくこと。
【時泥棒】約束なしに相手を訪問したり、約束の待ち時間を守らずに遅れたりして、相手の時間を奪うことは重い罪になるよと自重させる。
【肩引き】道を歩いて、人とすれ違うとき左肩を路肩に寄せて歩くこと。
【うかつあやまり】たとえば相手に自分の足が踏まれたときに「すみません、こちらがうかつでした」と自分が謝ることでその場の雰囲気をよく保つこと。
考えれば人として当たり前の配慮ですよね。それが現代人には通用しなくなっている悲劇。
ここ数十年の日本人の倫理観は悲惨です。己だけがよければ良いとの風潮が蔓延り、受験競争に明け暮れ、まともな道徳観を持たない者が高学歴者となって社会人となると、社長以下重役が一斉に頭を下げるような不始末を仕出かす。
昔の日本人なら到底あり得ない、食品偽装事件の多発。
コンプライアンスやCSR なんて外国語が入る以前から日本には美しくも気高い商哲学、商道徳があったはずです。その先達の智恵や倫理観を現代日本人は文明社会の発展と引き換えに失ってしまった。
我が家にも今年受験生となる娘がいますが、頭でっかちになるより、人としての倫を外さない思い遣りのある人間に成長して欲しいと願っています。約束は必ず守ること、最低の倫ですよね。
思い切って受験で道徳科目を導入してでも徹底させるべきのような気がするこの頃です。哀しいですけどね。