夜更けの思索者

土地家屋調査士・行政書士・CALS/EC RCI 橋本伸治のブログです。仕事に関する記事や日頃感じているエッセイなど熟々と書き綴っています。

土地家屋調査士制度制定70周年記念事業の一環として、登記制度創造プロジェクト事業である足利学校VR動画事業・建物表題登記事業の観測作業を、昨日、実行委員・サポーター8名の精鋭なる会員の皆様のご協力により行いました。
VR動画事業に関しては、連合会と提携しているライカジオシステムズ社様及び協力会社である神戸清光システムインスツルメント様から、3Dレーザースキャナー7台を無償貸与していただき、観測協力(観測指導)をいただきました。ドローンは高橋会員から提供していただきました。

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連合会からも山田広報部長に視察に来ていただきました。
京都からはるばる栃木までおいでいただき、大変有難うございました。

現在の不動産登記制度は必ずしも完全とは言い得ません。相変わらずの二次元の世界であり、世界の潮流から見ると明らかに立ち後れています。
未来に向かって登記制度のあるべき姿・土地家屋調査士から発信する将来ビジョンとして、VRによる座標管理・また建物図面の3D化(X・Y・Z)(いずれも世界測地系座標で管理)を目指しています。
この成果は、足利学校へ無償提供し、足利市の観光事業として利活用していただいたり、首里城やパリ・ノートルダム大聖堂の火災焼失における復元作業に効果を発揮します。また子供達への教育教材として利活用したりと、その価値は高く、いくらでも広がりを持つ可能性を秘めています。

成果が整いましたら、いずれ近いうちに3Dレーザースキャナーに関する会員研修会を企画したいと思っています。その際には足利学校事業のご報告もしたいと考えています。

因みに、ライカ社のLHI事業推進部のLHIとは我々土地家屋調査士のことです。
Land & House Investigator の略称です。ライカ社の調査士業界への期待度の高さが覗えますね。

また、本日の観測作業に関して、下野新聞社・NHKの取材を受けました。
記者の方々へは、土地家屋調査士制度のPRを行うと共に、未来の不動産登記制度を創造する本事業の意義を話しました。この結果が、少しでも皆様の業務にお役に立てれば幸いです。

最後に、本日観測作業に携わっていただいた全ての皆様へ、心から御礼申し上げます。

私もご多分に洩れず歴史が大好きである。
イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ氏が上梓し世界の耳目を集めた「サピエンス全史」で言う認知革命以降、歴史とは人類の営みの集大成、挫折と失敗の履歴書であり、壮大なる教訓書・学びのライブラリである。
あらゆる学問の出発点は全て歴史に依拠すると言っても良い。だが、無条件にそれを真実と捉えることには慎重であらねばならない。歴史書は時の為政者によって都合良く書き換えられるからだ。また、時代時代によって起こった出来事の評価は常に背反性を持っているからだ。併せて、日本史は決して世界史と切り離して思索してはならない。世界の中の日本という立ち位置を常に意識して学ばなくてはならない。

まぁ、歴史を学ぶ者にとっては、当たり前の心得である。「歴史は繰り返される」という教訓には、人類の学びが未だ如何に浅薄であるかを天が教えている。人間の心の奥底に存在する正の想念と負の想念、この対立する概念のいずれかを完全に封じ込めることは出来ない。正義と思われる物が時代によっては不義であり、またその逆も然りである。それに気がつかなければならないのだという真理を、歴史は何千年という時間をかけて人類に語りかけている。
私は歴史を学ぶとき、いつもそう感じる。

さて、
幕末期の歴史上の人物で好きな人は?と聞かれた時、多くの人は、吉田松陰であり、坂本龍馬であり、島津斉彬であり、西郷隆盛であり、松平春嶽であり、近藤勇であり、山岡鉄舟である、などと答えるかもしれない。
彼らが魅力的な人物である事に疑いの余地はない。
西郷隆盛は私が最も尊敬している人物の一人である。彼の存在が間違いなくあの時代を動かした。
しかし、なんと言っても私は圧倒的に勝海舟の熱狂的ファンである。意固地なまでの信奉者だ。さながら江戸城無血開城の対決のようだが。

初めて勝海舟を知ったのは、小学生の頃NHKで勝海舟を主人公にした大河ドラマを観た時だった。祖父が歴史大好き人間だったので、祖父と一緒によく時代劇物などを観ていた。大江戸捜査網などが懐かしい。知ってる人は最近少なくなったようだが...
大河ドラマの「勝海舟」は、確か、最初の主役が先頃惜しまれて他会された渡哲也だったのが、病気のため松方弘樹に交代したはずだ。多分大河ドラマで途中の主役交代はこれが最初で最後では無いか?
どちらも日本を代表する名優であったが、両名とも既に故人となっているのがなんとも淋しい限りである。
特に松方が演じる勝海舟は私を一遍に虜にしてしまった。当然フィクションも含まれていたのだろうが、未だ幼かった私はその番組内での松方「海舟」像に、惚れ込んでしまった。
この大河ドラマの原作となった子母沢寛の名著をずっと探し求めていたが、なかなか手に入らず、それまでは「氷川清話」や「海舟座談」その他の関連書物を読んでいたのだが、先日古本屋で、子母沢寛の勝海舟全集、しかも箱入りハードカバー版を運良く購入することができて、今とても嬉しい気分なのである。しかも一冊¥250という格安。反面で勝の人気が無いのかと寂しい気持ちもあるが、やっと手に入った!という気持ちが完全に勝っている。

もしあの時代に勝海舟がいなければ、大政奉還は無かったかもしれない。明治維新はもっと遅れていたかもしれない。勝は既に遠い百年後の未来の日本を見据えていた。彼は幕臣でありながら、徳川幕府などみみっちい組織は吹っ飛んでしまえ、今の日本に必要なのは旧態依然とした将軍家では無い、海外の列強に対抗できる軍隊を備えた公議の政体、つまりは共和制政治形態であると、いち早く喝破していた。幕府の初の海軍・長崎伝習所は、勝の発案である海防意見書が契機で創設された。時代の先を見渡す眼力は、幕末期勝海舟以上に右に出る者はいないと私は考えている。坂本龍馬はそんな勝に惚れ込んで弟子入りし、様々な薫陶を受けて、結果薩長同盟に至り、船中八策に至り、大政奉還に結びついた。残念ながら勝はその後時代の激流に翻弄され数々の悲運に身を投じることとなる。

もし勝が幕臣でなかったら、幕府のしがらみが無かったなら、きっと勝自らが動いて明治維新へと導いていたかもしれない。そんな勝の決意とも言える信念に導かれて、西郷が動き、桂が動き、討幕、明治政府へと結実している。
西郷との江戸城無血開城の談判劇は勝海舟による一世一代の大芝居である。西郷もそれを見抜いていたことだろう。
ただ江戸の庶民の命を大切にし、日本を食い物にせんとする欧米列強に対して、日本人同士が争っている場合では無いと、世間を刮目させたのである。勝海舟と西郷隆盛という大人物が日本にいたからこそ、日本は欧米に侵略されること無く繁栄の道に進むことができた。残念ながら中国にはそういう先見の明に秀でた政治家が、存在はしていたが存分に活躍出来なかったため、欧米の餌食となった。この違いは大きい。

一方で、海舟座談などを読んでいると、勝はべらんめえ口調の生粋の江戸っ子で、彼の変人ぶりは、普通の人間なら近づこうとはしない異様なほどであったが、高次元の知識人は勝の思想に感化され、勝家にしょっちゅう出入りし弟子入りを志願していた。そんな客人を快く迎えていたが、貧しかった彼の家は出世するまでは建具を売るほどのあばら屋同然であったらしい。でも勝はそんな事を一切意に介すること無く客人をもてなし、清貧を地で行っていた。

自分の立場に拘泥せず、時代を冷静に分析し、未来を見通し、強い信念を持って唱え続けるリーダー像を、私は勝海舟の中に見るのである。そして自分がどんなに貧していても自分を頼り信じてくれる者には惜しみない待遇を行う。
そんなスケールの大きい勝海舟に私は更に惚れ込んだのである。
果たして現代の政治家に、勝海舟の足下に及ぶ方がどれだけ居るだろうか?

前に、私が影響を受けた人物の一人に「安岡正篤」の名を挙げた。
ご年配の方ならご存知の方も多いだろうが、若い人の認知度はおそらく低いか皆無かも知れない。
私もいつどういう機会で彼を知ったのか既に忘却の彼方であるが、彼の明快かつ理路整然とした清廉なる教えに一発で魅せられてしまった記憶が強く残っている。

ああ、そうか。
私のライフワークでもある中国古典哲学の勉学時に、とある書物の中で安岡正篤人物評を読んだのが初めての出会いだったのだった。
安岡正篤も私が人生の師として仰いでいる方である。

ご存知ない方のために安岡正篤(やすおかまさひろ)の人となりを少しご紹介したい。

明治31年 大阪市生まれ
大正11年 東京帝国大学法学部政治学科卒業
昭和2年 (財)金鶏学院を設立
昭和6年 日本農士学校を設立
昭和58年 逝去

一番身近に感じられるのは、平成の元号を彼が最初に考案したという事(ただし政府は改元時既に故人であった事から彼の発案を認めていない)。そして彼の最後の愛人が占い師細木数子(一時テレビ番組を席巻していた)であった事。更には、昭和天皇による終戦詔勅の玉音放送「耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び」というあの文章の作成に刪修(さんしゅう・不要な語句をけずって文章を整えること)という立場で関わっていた事。

何よりも、当時、歴代首相達に最も影響を与えた政財界の黒幕であったことだ。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳、中曽根康弘など、昭和の宰相たちの多くは安岡を師と仰いでおり、首相の政策立案や施政方針演説に深く関わっていた指南役であったらしい。財界では、かの松下幸之助も彼の門下生であった。もっとも安岡氏は黒幕という言葉をかなり嫌っていたようである。
しかし黒幕と言われるのは、決して闇の意味合いではなく、彼の人格が尊敬に値するからであり、彼の思想信条が極めて理に叶っており、実学(彼は活学と称する)として即座に対応可能な東洋哲学に基づいていることから、政財界の多くのリーダーが彼に教えを乞うた事に由来するのであろうと私は理解している。

安岡正篤は元々は王陽明の研究者であり陽明学者であるが、中国古典哲学に精通し、東洋思想における知の巨人と言われる。没後40年近く経った今でも多くの熱狂的なファンがいる。その殆どが政財界などでのトップリーダーだ。その思想は致知出版社において今に受け継がれている。

私も遅ればせながら安岡氏の著作を読み漁り、今も大いに影響を受けている一人である。
現代日本人が忘れてしまった、本来持っているべき日本人としての古き佳き誇り、哲学、道徳観、人生観、そういった物を呼び覚ましてくれるのだ。

彼の本を読んでいると、背筋をピンと張らざるを得ない心持ちになる。書物の奥底から、あたかも安岡先生が自分を冷徹に凝視して、「貴方は今自分に対して真に誇りを持てるか?」と問いているような錯覚に陥る事すらある。時として難解な表現に理解するのが苦しい時もあるが、彼の文章からは、安岡先生が類稀なる思想家であり、人徳者であり、人々を何故こうも虜にするのかが容易に読み取れるのである。

今時代を超えて、安岡正篤という大哲学者に巡り会えた幸福に、心から感謝したい。

ビジネス雑誌を読んでいると、最近特に立命館アジア太平洋大学の記事を目にする機会が多い。2000年に大分県別府市に設立された私立大学である(略称APU)。
開学宣言に次の文章が記されている。
我々は、21世紀の来るべき地球社会を展望する時、アジア太平洋地域の平和的で持続可能な発展と、人間と自然、多様な文化の共生が不可欠であると認識する。この認識に立ち、我々は、いまここにアジア太平洋の未来創造に貢献する有為の人材の養成と新たな学問の創造のために立命館アジア太平洋大学を設立する。」

何故ビジネスの世界でAPUが話題になっているのだろうか?調べてみた。
学生の半分は外国人であり、教員の半数も外国籍だという。授業は英語と日本語による二言語教育方針が採用されており、また国の研究支援事業とも連携し、社会人の受講生も受け入れているので、企業から社員を受講生として派遣するケースが多いようだ。留学・逆インターン制度としてのニーズが高いようなのだ。

外国人学生の受け入れ率では日本一だという。
日本人学生にとって国際感覚を養うには最適の環境であろう。社会人学生にとっても然りである。
毎年発表される世界の大学ランキングでは、東大・京大は下位に甘んじている(2020年は東大36位、京大65位)が、その低迷要因の一つに外国人学生の受け入れ率・教授陣の外国籍率が影響している。他にも様々な要因はあるが今は省略する。

私は何も立命館大学の出身者でも無いし、家族に関係者がいる訳でもない。しかし今APUはビジネス社会から熱い視線を浴びている現実がある。
そもそも立命という言葉にも深い意味がある。おそらく元は「安心立命」が出典だろう。

つい最近APU学長の講義を拝聴した。元生保会社社長という特異な経歴の出口治明氏である。今CMでも有名なライフネット生命保険の出身だ。当然健康に関してはプロとしての知識があり、かつ歴史についても造詣が深い。歴史好き人間としては、そこにも興味を覚えた。
何故保険の人間が教育界に身を投じたのか?はたまたAPUの世界戦略はなんであるのか?おそらく旧帝大では発想され得ない新たなイノベーションを引き起こすのか?大変興味があるところだ。子供にも、狙うならAPUと言う時代が来るかもしれない。

日本は未だ未だグローバリゼーションが徹底されていない。そもそも英語教育が根本から間違っているのでやむを得ない結果であろう。日本の世界的評価はどんどん落ちている。共通言語が足りていないのは当然として、真の世界人になり得ていない。島国根性が原因だと言ってしまうのは簡単だが、イギリスが覇権国になった歴史と整合がつかない。

その欠点を補完し、世界に通用する日本人を鍛え上げる事がAPUの世界戦略なのかも知れない。そこにビジネス界が注目しているのかもしれない。

ビジネス、特に経営者の世界では、誰しもがMBAの資格を有し、世界共通言語を使いこなし、ガラパゴス化していない思考力を有する、昔風で言うところのcosmopolitanたる日本人が今改めて求められている。

メメントモリとは、ラテン語で「死を思え」•「死を忘れるな」という意味です。言わば死生観の事です。

では何故、今メメントモリの話なのか?
今人類は、世界中を震撼させているCOVID-19、いわゆる新型コロナウイルス感染症という脅威に対峙しています。有名人も続々と感染し、志村けんさんのように死に至る事が大いにありうる現在、東日本大震災以来の「人は生かされている」という思いに至るからです。
そして否応なしに死生観へと思いがどうしても至ってしまうのです。しかし、死生観を持っているかどうかで人間生き方がガラッと変わります。そこに気づく事が極めて大切なのだと思います。

人間にとって決して逃れられない真実、絶対の真理が三つあります。
1. 人は必ず死ぬということ。
2 .人生は一度きりであるということ。
3 .人はいつ死ぬかわからないということ。
どれも当たり前の事です。もし、貴方が医者から余命一ヶ月と宣告されたとしたらどう思うでしょう?もっと健康に留意していれば良かった。もう未来は無い、人生終わりだ。普通ならそう悲観する事でしょう。
でも余命が後30年あります、と言われたらどうでしょう?なんだ、案外短いけど未だ先の事だ。と気持ちを切り替えられることでしょう。
この違いは何でしょうか?時間の問題である事は確かですが、死に対する恐怖感の違い・切迫感の違いによるものではないでしょうか?
その恐怖感・切迫感を受け入れて覚悟が座った時、人は人生の密度・時間の密度が格段に濃くなります。一日一日、一瞬一瞬を大切に過ごす事でしょう。まさに今この時の瞬間を精一杯生き切る事で己を納得させるのでは無いでしょうか?
そして、この逃れられない運命を受け入れ、その事実には何か意味があるのでは無いか?己に何か使命を果たすよう何かしら大いなる物が与えているのでは無いか?
「使命観」、使命とは一般的な意味合いの他に、”命を使う”とも読めます。己の命をかけてでも何かに打ち込む責任がある。この覚悟。
この覚悟が備わった人間は真の魂の強さを備えるのです。これこそが強い死生観であると思います。
そして、この死生観を持った覚悟のあるリーダーはいかなる危機に遭遇しても泰然自若として物事を冷静に判断する事が出来るようになる。目の前のいかなる事象に対しても常に客観視出来る「解釈力」を身につける事ができるのです。

これが、我が師田坂広志先生の教えです。

言い換えるなら、リーダーや経営者は強い死生観を持つべきだという事なのでしょう。いや、人間である以上、皆持つべきなのかもしれません。

この境地に達するのは並大抵の事では無いでしょう。本当に死にかけるほどの究極の経験でもしない限り会得できないのかもしれません。田坂先生は若い頃本当に死にかけた経験があるそうです。だからこそ毎日毎日を「生き切って」翌日目覚めた時に、ああ今日も生きられる、有難うと素直になれた。
人は皆、今この瞬間が死と隣り合わせなのかもしれません。今居るこの空間から一歩外に出た瞬間、事故に遭って命を落とすかもしれない。それを意識しているか否かで人の死生観は違ってくるのでしょう。

この境地に私はいつ到達できるのだろうか?
また修行の日々が続きます。


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